光線治療物語
1941(昭和16)年、黒田保次郎によって設立された光線研究所の歴史、それ以前の光線治療の実績が記されています。
83歳の患者が毎夜短刀でえぐられるほどの苦しみ、三回の開腹をしたものの手術不能と診断された悪性の子宮癒着、肺結核で三年間続いた39.5℃の高熱、等々の病状が光線治療によって回復をみた話や、原爆症の治療例、有機水銀中毒やカネミ油症などの公害病を光線治療によって治した話など、興味深い話が多数記載されています。
~病人にいやな思いをさせずに治療する手段方法はないものか。そして注射と手術が年とともに激化する傾向をみるにつけて、身を削られる思いを禁じ得ないのである。~(本文より抜粋)