潰瘍性大腸炎、光線療法とともに30年

 福岡県/73歳・男性・農業

 貴光線研究所が、設立60周年(平成13年)を迎えられたとのこと、おめでとうございます。あの優しい故保次郎先生の笑顔が思い浮かびます。お礼の意味を込め、私の治療経験を報告します。

 私は30年前、潰瘍性大腸炎になり入院手術を受けました。そのころはこの病気はとても珍しい病気でした。治療法は当時、大腸摘出しかなく、術後はストマ人工肛門となりました。ところがストマ造設が完全ではなく、一部分から便が漏れる状態で日常生活が大変でした。

 この病気を機に、健康管理、とくに食物に関心を持つようになりました。手術前、切らずに治す治療法はないかと、東洋医学や民間療法に関心を持ち、多くの施設をまわりましたが、結局手術を受けることになりました。

 しかし、そのとき出会った光線療法が、その後の人生でいちばん役に立ったのです。光線療法に勝る治療法はないと身をもって体験し、以来、病に悩む人に勧めています。私は正しい食生活をして光線を照射すれば、治らない病気はないと信じています。

 30年前、光線療法のために上京した折、光線研究所初代所長だった故黒田保次郎先生は、「北九州市はカネミ油症の治療研究費として3000万円を九大に出しているが、いまだにその結果が出ていない。しかし、私は3人の患者に光線療法をして良好を得ている」と話しされました。

 光線療法の研究についても、九大の専門家に師事して理論や技術を習得したのだそうです。さらに、光線療法でおおくの病気を治療し、治療データを蓄積して光線治療院を開業し、当時の有力者の協力を得て、昭和16年(1941)年に財団法人化に至った経緯などもうかがいました。

 その後も、機会あるごとにお目にかかり、また手紙を通しておつき合いいただきました。光線療法業の開業を勧められましたが、私は正しい食物を作ることが使命と考えていましたので、先生からのお勧めを辞退しました。

 爾来30年、ずっと光線治療器を愛用してきましたが、不注意でストマから細菌感染が生じ小腸が汚染されてしまい、強い痛みで入院騒ぎになりました。私のからだには抗生物質が合わず、全身に湿疹が出て大変でした。

 その後、新たにストマ造設術を受けました。この入院中も病院に許可を受け、光線治療器を持ち込みました。担当医は、手術の治りりが早いことに驚き、証拠写真を撮っておけばよかった叫んだほどです。この30年の間に、病院の検査議長として勤務している妻がリウマチになりました。現在の三代目所長黒田一先生に光線療法の指導を受け、毎日夜、数時間光線照射しました。その結果、勤務を休むことなく1ヵ月で元気になり、それ以来全身の関節痛は再発していません。

 私には、病人をつくらず、少なくするには自然の食物を生産するしかないという信念があります。今後も無農薬の自然野菜づくりとともに、医療行政にも関心を持っていきたいと思っております。最後にこの30年間、難病の私が元気にすごすことができたのは、光線療法のお陰と心から感謝し、心から御礼申し上げます。

(財)光線研究所「可視総合光線療法・治療報告と症例集」黒田一明著

馬込沢うえだ鍼灸院

kiichiro2
  • 船橋市馬込沢で鍼灸院・光線療法院をやってます。
    慢性疾患をよくするためには、
    自己のもつ治癒力を高めることが非常に重要です。
    このブログでは主に光線療法について、
    日光を浴びることの重要性について綴っていきます。

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