多発性骨髄腫から救われた 2
病院で処方された薬を始めて飲んだときの期待と不安、その日のことはいまでもよく覚えています。服用後しばらくして、3階への階段を昇り始めたとき、なんだこれは、まるで鉛の靴をはいたように重い、これが副作用なのかと驚きました。血液の病気といえば白血病くらいしか知らず、なぜ10万人に4~5人という難病の1人に選ばれたのだろう。ガンといえばまず手術と思っていたが、私にはその挑戦権がない、そんな気落ちした日を送るうちに、立ち上がり時に立ちくらみが出るようになりました。夜は1時間おきにトイレに起き、寝るひまがない。追いかけるように尿の出が悪くなり、泌尿器科に行くたびに尿の検査で血尿を指摘され、気分が落ち込むばかりでした。
いちばん気持ちが晴れたのは、海に行くことでした。波の音を聞きながら、遠くの水平線や流れる雲の動きを見ていると、海は人間ちっぽけさを教えてくれます「もがいても、なるようにしかならない。私には好きなことをやれる時間がまだ少しある。病気にならなくても、平均寿命からすれば、あと10年と少し」などと考えながら、涙を流すだけ流すと気持ちがスキッとしました。
病気を宣告される1年半前、家を新築したばかりで、スペインで見たイスラム風の石庭が気に入り、まねごとで庭造りをやりかけたところでした。この工事は座ったままでもできるし、外にいたほうが気もまぎれる。疲れたら休めばよい、時間はいくらでもある。そんな気持ちで庭造りを再開しました。足元にCDプレイヤーを置き、好きな音楽を聴きながらの楽しい手仕事でした。このころ、光線療法の効果が少しずつ出てきました。
2年後の8月6日、病院の担当医に自己幹細胞移植を勧められ、これが最後のチャンスで生存率は20~30%とのことでした。光線治療器を2台に増やし、光線療法でいけるのではないかと自信がついてきたところでしたので、移植を辞退しました。
病院で続けているMP(抗ガン剤)治療の結果、当然高くなるはずのIgG数値も変わらず、光線療法の効果はすごいと思いました。立ちくらみ、血尿もなくなりました。しかし、まだMP治療で体調が不良のときがあり、不安におそわれることがありました。また、ステロイドの副作用が気になり、昨年5月、ステロイドをやめたいと担当医に相談して、MP治療を中止しました。
つづく
(財)光線研究所「可視総合光線療法・治療報告と症例集」黒田一明著